女性が女性の不倫を叩く~女が我慢していたら何も変わらない

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女性不倫悪口

不倫という概念は、「結婚」という概念がないと成立しません。しかも、その結婚という概念は、生涯ひとりの人としかセックスしませんって言ってることでしょう?

私は結婚を「自分の身体の性的使用権を生涯にわたって唯一人の異性に譲渡する契約のこと」と定義されると思っています。

そして、どうして人々の中には、そんなできもしない約束をするのかが、私には本当に不思議です。そして、なぜ性関係の相手はひとりでなくてはいけないのか。それも不思議でなりません。

『わいふ』という雑誌が、90年代初めにとったアンケートで興味深い結果がありました。

不倫経験のある既婚女性は6人に1人、しかも不倫している女の3人に1人は「夫ともセックスできる」、3人に1人は「もともと夫とはしていない」、そしてあとのひとりは「夫とはできなくなった」。

女性だって人によっては、同時並行で複数とセックスの関係をもつことは可能です。今は既婚女性の婚外恋愛も多いですよね。

だけど、本当にいい関係をもっている女性がどのくらいいるのかは疑問です。男は見栄とエゴイズムの動物ですから、女を落とすためには何でも言います。

そういう男に話を聞いたことがあるんですよ。いわゆるナンパ師みたいな人。彼が言うには、夫から女として扱われていない、男友だちもいない女性は、落としやすいそうです。ナンパする場所は、デパートの地下売り場が多いんですってね。

悲しいですよね。全人格的な関係ももたず、その場しのぎみたいなセックスをするのは、大人として貧しいと思います。

女の不倫を女が叩くのは、羨ましいからでしょう。私がこんなに我慢しているのに、自由に男とセックスするなんて、という思いがある。ただ女性は、本当に親しい友だちが不倫しているなら叩くよりも応援するんですよね。

そこがおもしろい。不倫はどの立場から見るのかによって、見方が変わってきます。

結婚は相手のセックスに関する管理権をもつことにつながります。私自身は、人が人を管理したり所有したりすることが我慢できません。自分が所有も管理もされたくないから、人にもそういうことを強要したくない。

どうしてわざわざ、お互いを縛り合う関係をつくるんでしょうか。男女関係において、権利と義務の関係をつくっても何の保障にもならないと思いますから。

夫の携帯電話を見る妻も多いと聞きます。相手のプライバシーに踏み込む権利が自分にはあると思っているわけですね。それが不思議でたまらないのです。

こんなことを言っているので、知り合いは私を結婚式になかなか呼んでくれません(笑)。でも一応、報告はしてくれます。

そういうとき、私は言うんです。「自分の人生に巻き込んでも相手の人生に巻き込まれてもいいと思えるほどの相手と巡り会えたことは幸せね」って。

回りくどい言い方ですが、祝福の言葉なんです。

私は恋愛も結婚も出産も、ないよりはあったほうが人生が豊かになると思っています。そしてどうせ経験するなら、男女はきちんと向き合ったほうがいい。

でも、それができていないんですよね。育児中の女性たちは、夫との関係が成り立っていないことを愚痴ります。夫に言えない恨みつらみがある。

こういうときエリートの女性なら、経済的な不安もないので簡単に離婚するのかと思えば、そうとも言えないんです。

私の大学の知り合いにもいるんですが、就活のとき、その企業が出産や育児休職のあと、働きやすいかどうかまでは考えていない。

そして結婚に際して相手に求めるのはエリートであること。だからいざ出産しても、夫に一緒に育児をしてほしいと言えない。いやそもそも、エリートである夫には、育児に関わってほしいと思っていないんです。

男が自発的に変わることはあり得ない。言わなければわからないから言って協力体制をつくればいいんですが、夫を育児戦力として期待していないからどうにもならない。

育児に関わるなんて、エリートの男がすべきことではないと、夫婦共に思ってるんでしょうね。

結果、ひとりで何もかも抱え込んでパンクしてしまう。そんな人には「今、いちばん大変なときに向き合おうとしない男と、これからの半生も一緒に暮らすの?そしてそうやって見限った男に今後も股を開くの?」。そう言うと、ほろほろ泣き出します。

いじめているわけじゃないんですよ。女が我慢していたら、何も変わらない。もしかしたら、恋愛中も実は言いたいことをきちんと言える関係ではなかったのかもしれませんね。

「好きだ」「愛してる」と言われてその気になって、自己中の男に振り回されていただけだったのかもしれない。

私は「愛」とは大事にされることだと思うんです。乳飲み子を抱えた妻が大変な思いをしているのに、夫は協力しない。それは大事にされていないということですよね。

大事にされない女性は、愛情に飢えて、ストレスを抱え込みながら、ときに不倫に走ることもあります。

この不倫は叩かれる不倫なのでしょうか?同じ女性でも不倫の動機を理解できるのならば、応援してくれる女性がいると確信しています。

だからこそ、不倫文化はいつまでも続く我慢の限界を超える単なるコミニュケーション文化とも言えるだと思います。

女性は、性文化の不倫を求めている訳でないのです。

叩かれない不倫だってあってもいいと思うのです。

最近は女性も結婚後も複数の男性と付き合う女性がいるなど、昔ではありえないくらいの自由が許される時代になってきている。そして、不倫を楽しむ女性が増えたのも事実かもしれません。

しかし、多くの女性は男性と違って性欲よりも精神的なつながりで結ばれることに満足感を覚えるのです。

だから、行為がないということは、女性にとっては愛されていないことと同じことなのです。

性欲というより愛情への渇望が、多くの女性を不倫に走らせているのではないかな。

また、世間体や道徳観に縛られて不倫をする勇気がない女性が、見事に不倫をとげた女性に対する嫉妬と羨望がバッシングになるのではないか。

ストレスがあるなら我慢せずに夫にもっともっと不満をぶちまけたらいい。愛されたいならもっと甘えればいい。

自分が壊れるまで我慢して子供に危害を加えたり、不倫をしている女性を嫉妬で叩くより、もっと自分を解放すればいい。

私のように、愛する人を縛らないし縛られたくない人間なら、そもそも不満がないから例え不倫をしている女性がいても彼女を叩く気は毛頭起こらない。

だが、それはそれで女としては不幸だといえるのかもしれないが。

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