処女厨は身体に関わるウェットな言説なので、常に刺激的でセンセーショナルなのだ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

処女厨の言説には、善良な市民層の神経に障る性質がいくつかある。まず、処女厨言説が非処女をはじめとする各方面の「発狂」を誘う原因を考えてみよう。

年収厨発言にないどんな〈神経逆撫で性質〉が、処女厨発言には秘められているのだろうか?

真っ先に、「下半身トピックであること」が挙げられるかもしれない。年収厨が経済や文化に関わるドライな話題であるのに対し、処女厨はプライベートな身体に関わるウェットな事柄なので、刺激的であり、センセーショナルなのだ。

しかし逆に謎は深まる。

だったらなぜ、童貞やヤリマンやホモやセックスレスが揶揄され叩かれても炎上現象が起こらないのか。むろん、ネットではどぎついシモネタが当たり前だからだ。当たり前のことでは誰もムキになったりしないのである。

こうして見ると、処女厨というトピックだけが圧倒的争乱を巻き起こしている理由は説明できていていない。

第二に、「処女厨の主張がしばしば誤解されている」ということ。

年収厨発言に比べ、処女厨発言は辞書的定義からはずれた言葉遣いがベースになっているため、誤解されやすいのだ( 再定義性)。ネットでも「処女を捧げたらその時点でその相手にも結婚候補から外されるんですか? 冗談じゃない」という反発が多々見られる。

確かに、性交経験した女は処女でないという辞書的意味にもとづけば、「男が伴侶として大切にするのは処女だけ」というのは大変な暴論に聞こえる。

男は婚約者と一回セックスしたらすぐ興味を失って別の処女を漁り始める、という含みがあるからだ。

しかし、処女厨の言う「非処女」はあくまで「結婚前に夫以外とセックスした女」である。
破瓜を経験しても妻になっても母になっても処女は処女なのだ。

処女とは、生物学的概念ではなく、人間関係的概念とされているのである。ここが理解されれば、処女厨への過大な反発がかなり鎮静する可能性はありそうだ。

第三に、処女厨がもう一つ別の誤解に晒されている可能性も考えられる。「非処女は恋愛対象としても失格」と断定されているという誤解だ( 膨張性)。最初に確認したように、処女厨は、結婚相手としてでなければ( 単に女としてなら) 非処女をいくらでも愛することができる。

処女厨は結婚制度あってのイデオロギーなのだ。したがって処女厨は、核家族を家父長制および女性支配の元凶として批判するフェミニストとは実は相性がよい。

処女厨の主力が結婚願望強き男たちであることは確かだが、貞操を必須とする現行の結婚制度がもし壊れれば、多夫多妻的な自由恋愛に処女厨も安住するだろう。

結婚という束縛を前提したときにのみ、処女厨のヒステリックな貞操要求が発せられるのである。

むろん、処女厨言説が正しく理解されても、特有の不快感は誘発され続けるだろう。

たとえば第四の理由として、「聞き慣れなかったから」という事情が挙げられる。「今さら非処女ムリなんて言われても! 聞いてない!」……女は騙された感に戸惑うのだ(遡及罰性)。

男が本音を伏せていたせいで、深く考えずに処女を捨ててしまった。決して自分の性欲からではなく、彼氏を喜ばせようとして、ムードを壊すまいとして応じてしまった。それが裏目に出るなんて。言ってくれれば守っていたのに。ショック。

簡単なことだからこそ、処女保全を怠った自分が恨めしい。その潜在的悔いをえぐられると、非処女は怒り心頭に発するのである。

学校の性教育で「結婚適性と処女性」の関係を教わった上で、あるいは知恵袋で男の本音を学んだ上で非処女になったならば、事情は違っただろう。

納得ずくの選択だから、後に処女厨特有の罵倒に出会っても動じずにいられたはずだ。  逆に「聞き慣れていることだから」という第五の理由があるかもしれない( 追討性)。

女の場合、「納得ずくの選択」が常に微妙であることは周知の事実だ。非処女の中には、処女厨言説に出会う前から「やり逃げ」された苦い記憶を噛みしめていた者が少なくない。

相手を恨み、自分の愚かさを悔いているところ、その苦渋に追い打ちをかけるのが処女厨言説だ。「言われなくたってわかってるよ! 私は馬鹿だったよ! とっくに悩みまくってるよ! うるさいよ!」

第六に、処女厨的要求が当たり前に見えて実はいかにも不合理であり、理不尽に感じられることがあるだろう( 不明朗性)。

安定収入は、婚活の文脈に限らず、有利であることが誰の目にも明らかである。多くの金を稼いだ方が、生活も豊かになり、自由も利くようになる。

だからスペックの高い男と結婚したがる女の望みは合理的であり、理解しやすい。だが、高スペック男のメリットに比べ、処女のメリットはわかりづらい。

非処女に比べて本当に貞操観念が強いのか、見てわかるような違いがないのである。不確かな処女のメリットを褒め称え、不確かな非処女のデメリットを攻撃する態度は、オカルト信者に通ずるものがある。

合理主義者であればあるほど処女厨を嫌うのは当然と言えるだろう。もちろん社会経済的に見れば、年収厨も決して合理的とは言えない。

女性の労働条件がいかに改善されようと「やっぱりいつでも辞められるようにしておきたい」という本音に従い続ける〈甘え〉の側面があるからだ。

しかし、安定収入ある男との結婚には、利己的観点から見てメリットがあることは依然明白だ。処女厨にはその明白さが欠けている。よって、個人レベルにおける合理性の尺度では、処女厨は年収厨よりもはるかに非合理的であると言える。

リアリスティックな年収厨に比べ、ロマンティックな処女厨は、合理主義的世界観に収まりきらず、そのぶん「いかがわしい」のだ。

むろん、多少非合理なことであっても、「やり直し」が効くことなら、それを推奨するのもわからないではない。処女厨の熱意も理解できる。しかし、非処女はもう処女には戻れない。後の祭りだ。

ここに第七の理由がある。もはや努力で変えられない非処女という属性を非難罵倒するのはフェアでないのだ( 覆水盆性)。年収厨は違う。

高収入男を礼賛しニートを軽蔑することは、それなりに男を奮起させる効果がある。ニートが良き妻を得るために努力して一躍高収入男になる可能性もあるのだから。

しかし非処女を罵倒してもそうした展望は見えてこない。非処女を処女に戻すことはできず、せいぜい表面を取り繕うことを促すだけだ。

処女膜再生手術などで夫を騙したとしても、自分を騙すことはできない以上、女自身は嘘をつき通すまことにストレス深き人生を送らねばならない。

こうして、回復の見込みなき属性をあげつらう処女厨言説は、残酷であり、非生産的でもある。

ただし、非処女にとってはもはや変えられないことかもしれないが、処女にとっては処女厨の言説はこれからの指針となりうる。

処女に対する効果に着目すれば、「非生産的」という批判は当てはまらないだろう。処女厨言説に出会ったおかげで考えを改め、助かった、という処女は少なくないだろう。

処女厨言説の本音露呈性こそは、下品で俗っぽいいかがわしさのぶん、学校の性教育も親の説教も及ばない道徳的説得力を持ちうるのである。

だが、処女厨言説が処女にとって生産的であるからこそ、別の苛立ちが誘発されることになる。

すなわち第八には、処女厨言説が「結婚したい女はみな処女であるべきであり、すべての男は非処女との結婚を控えるべきである」という極度に普遍化された主張のように聞こえるということだ( 裁断性)。

もちろん人の生き方はそれぞれであり、結婚に安らぎを求めている人々ばかりではない。目新しい性的快楽を常に追い求めて悔いない女、その種の女を一生の伴侶とした方がスリルがあって面白いという男、等々の価値観に何も間違ったところはない。

処女厨のターゲットは実際はそうした例外的な人々ではなく、主に「処女を守るかどうかが幸せを左右する可能性の高い平凡な女たち」である。

結婚願望のない女はもちろんのこと、波瀾万丈の結婚を何度も繰り返す覚悟のある女も処女厨の批判対象ではない。

堅実なセレブ男と結婚して専業主婦に収まりたい的な安定志向の平凡な女に向けて、「長期計画なしに夢が実現できるなんて甘すぎる」と警告しているのが処女厨言説なのだ。

そのように限定された母集団に向けられているとはいえ、普遍化言明のいかがわしさは拭えない。(安定収入のような) 物理的合理性に裏付けられない「処女性」のメリットを普遍化して憚らない独善ぶりが、多くの男女に動揺と納得をもって迎えられている( らしい) 有様は、懐疑主義的な人々には鼻につく。

人間の合理的趣味は多様な個性を各々誇るべきであるはずなのに、処女性の美徳へと「正しい趣味」を強引に収斂させるナイーブな十字軍的普遍化志向が容易に納得されてしまうのはいかがなものか、と。

こうした懐疑主義者とは正反対に、処女厨言説の正しさをすんなり信じられる人々にとっても、「処女厨言説の生産性」は忌々しい。

すなわち第九に、「寝た子を起こすな」という事なかれ主義的苛立ちが掻き立てられるのだ( 容喙性)。「覚醒した非処女」にしてみれば、未だまどろみの中にいる処女どもが自分の優位を知らずにやすやすと非処女に墜ちてくるありさまは慰めになるだろうし、非処女と結婚した男も、忌々しい「勝ち組」の夫を減らすために世の処女に無自覚であってほしい。

そしてすべての男にとって、処女の貞操がゆるんでいる現状は遊びには好都合だ。

せっかく世の風潮が、個性的価値観の多様化礼賛に伴って非処女肯定に向かっているのだから、なにも各方面に不都合な処女礼賛を蒸し返すことはないだろう。

処女厨ってのはほんと無粋な野郎どもだ。非処女やヤリチンにとって処女厨言説が脅威なのは、処女が処女厨言説に従うこと、つまり結婚まで処女を守ることが、実はきわめて簡単なことだからである。

覚醒しさえすれば、処女の大多数が簡単にこの教えを守ることができてしまう。

「寝た子を起こすな」とことさらに警戒されるのは、「寝た子は簡単に起きてしまう」からなのだ。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
error: Content is protected !!